Junks and Toothpaste

just some random pieces of everyday

ネットストーカーの極み

私はいわゆるネトスト力に優れているので、ある程度のヒントをくれれば、フェイスブックツイッターのアカウントを見つけるのはそんなに難しいことではない。名前を知らなくてもフェイスブックは見つかるし、実名じゃなくてもツイッターのアカウントは分かる。まあ、表向きのものであれば。

 

逆を返せば、私のものも見られている可能性があるわけで。わざわざIPアドレスを辿ったりはしないけど、いろんなことのタイミングで「ああ、この人が見てるのかもしれないな」と思ったりはする。

 

そんな私でも、人のスマホは勝手に見ないようにしている。そこだけは気をつけている。通知が鳴って画面に表示されてたら見てしまうこともあるけど、通知が出ないようにしてる人もいるし。ロック解除のパスワードを知っていてもラインを開いて盗み見たりはしない。

 

それと似たようなことで、嘘をつかれていたとしても、極力疑わないようにしている。厳密には、疑ってしまっても本人には言わないようにしている。多少探りを入れるぐらいで。

 

疑うことほど不毛なものはないなと思う。本当に何もないことのほうが多いし、何かがあったとしても、理由があって隠されているわけで。その理由を知ったところで良いことなんてほとんどないし。本当のことを言ってくれるかどうかも分からんし。

知らぬが仏、で平和にやり過ごすほうがいいなと思っているし、疑うよりも信じたほうが楽になれるとも思っている。

 

まあでも、全部わかりやすい人のほうが楽というのは事実。あと、信頼してくれてたら大抵のことは自分から話してくれるし。私がそれを否定することもあんまりないし。自分に害を及ぼさない限りは。

 

はー、それを思うと、絶対私には何でも言ってくれるだろうなと思ってた相手が、すごく大事なことを言ってくれてなかったというのは、なかなか傷が癒えないなあ。

正直、これはずっと忘れないだろうなあ。表向きは笑い話にできたとしても、ずっと引っかかり続けるんだろうなあ。まあ、もう終わった話だー。

苦渋を味わい尽くす

私の人生、いろんな意味でどんどんとヤバい方向に行っている気がするけど、成功した人も若い頃はめちゃくちゃやったりするし、なんとかなると信じて生きていくしかないな!

 

世間的に良くないとされていることの半分ぐらいはやった気がするけど、まあ許されるレベルだと思っている。半分は言い過ぎか。でもまあまあクソや。

 

とりあえず誰も傷付けないように、あとは自分が引き返せるところまでで、いろんな悪いことも経験しておいてきっと損はないし今のうちに苦渋も味わっておくべきだ...と、思いたい。

土曜日

①嬉しいことあったけど、もう誰にも言わない。多分そのうち言ってしまうけど、でも言わない。自分だけで噛み締めてバタバタしたい。この嬉しさを外に漏らして蒸発させたくない。全然大したことじゃないけど嬉しい!

 

②一緒にライブ行く相手とか、一緒に部屋で音楽を聴く相手がいたらいいなーっていつも思ってたけど、ひとりで音楽を聴く時間が私は好きなんだなとも思うから、そこのこだわりはもう要らないかもしれない。

日記

三連休めっちゃダラダラしたけど、昨日今日とめっちゃ忙しかった。まあ、私にしては。

 

今日の学校の課題はすごく難しかったけど、文の意味を取るのが難しいというより、日本語として綺麗にまとめるのが難しいって感じやった。数ヶ所誤訳してたとこもあったけど。

でも担当の人のを見てたら誤訳だらけで、すごい失礼なのは承知やけど、どうしたらこんな意味になる?って思ってしまった。学ぶところももちろんあったけど。

 

帰りの電車で前に立った人のカバンに赤十字みたいなタグがついてた。最初は「私、救助できます」みたいなやつかと思ったけど、調べたらヘルプマークというやつやった。

だから席を立ったらその人座ってくれた。なんか良いことした気分になった。

 

柴犬と赤ちゃんの動画見ながらナード聴いてたらめっちゃ幸せな気持ちになった。こういうの見るとやっぱ赤ちゃんは可愛いなと思い、少し自分の子どもがほしくなる。

 

明日明後日と友達が泊まりにくることを忘れてた、というか覚えてたけどこんなすぐに迫ってると思ってなかった。

掃除しなきゃ。洗濯しなきゃ。冷凍のごはんもなくなった。でも、今日の私にはもう何もする気力がない。

 

20日締切の仕事と課題もあって、でももう無理かも。仕事はやるとして、課題は無理かも。今月こそ頑張るつもりやったのに。

25日のほうは何とか出せんかなあ。土日頑張ればいけるかなあ。

 

フィクションとノンフィクション、どっちが自分に向いてるのかなーってやっぱ分からない。来期どっちを取ろうか、とか。でも結局ゼミ見学の申し込みも出せてない。何やってたんだろ私は。

 

仕事で企画したやつもあんまり応募なくて焦るし。

 

んー。エルレ当たってほしいけどもう期待しない。願えば願うほど落ちたときの絶望大きいし。

 

疲れた、ってかやらないかんことを考えて疲れる。今から寝て明日早起きしてできるかなあ。まあ仕事は朝は無理として、炊飯も無理として、とりあえず洗濯は朝。疲れた。

her/世界でひとつの彼女

her/世界でひとつの彼女』を観た。

 

ギャグ要素(下ネタ)も多くて面白かった。まさに笑いあり、涙ありって感じの映画だったと思う。

 

AIが「知能」であり、人間の脳の動きに近づいていくのだとすれば、技術が発展するにつれ、感情を持つというのも当然のことだろうと思う。

ここまで対話ができるようになったらそれはかなりヤバいけど。さすがにそうなったらもう「翻訳家はいらない」とか言われても納得するかもしれない。

 

でもやっぱり私達はまだ、機械というのは操ることのできるもの、私達の生活の利便性を上げてくれるもの、私達の望みを叶えてくれるものだと思っているところがあって。要求に応えてくれる、ポジティブな面しか持たない「モノ」だと思っている部分がある。

でも、感情を持ってしまうと、機械相手でもそうはうまくいかないんだなあと思った。

 

ただ、最後にサマンサが他の人とも関係を持っているという点については、あんまり納得できなかった。

例えばSiriなら、世界の人々が使っているものは共通で、ひとつしかないけど。OS1に関してはもっとパーソナライズドされたものなんじゃないの?っていう。

「サマンサ」というのはOS1から生まれたひとつの人格であって、他の人達が付き合ってるのは「サマンサ」じゃないんじゃないの、別の人格なんじゃないの、みたいな。名前も性別も違うかもしれんし。

 

まあそれでも、結局サマンサ=OS1というシステムであることには変わりなく。人間もそうかあ。人によって接し方を変えたりとか、いろんな人格があったりするもんなあ。だから、セオドアと付き合っていたサマンサは、要はシステムの一部、一機能に過ぎなかったってことなんですよね。

 

サマンサにとっては、「感情」というのも、「知識」あるいは「機能」として付与されたものに過ぎない。結局のところサマンサは機械でセオドアは人間なんだ、っていう。

でも、サマンサもそこでの葛藤はあったわけで。何をもってして機械と人間を分けるか、というのはとても難しい。自発性なのかなあ。

 

ブレードランナーのレイチェルをちょっと思い出すね。個としてのアイデンティティと感情を持った機械を、果たして本当に機械と呼べるだろうか。うーん、この映画も考えると難しいなあ。でも面白かった。(結局それ)

リリーのすべて

リリーのすべて』という映画を観た。

 

後天的なトランスジェンダー。単なる女装趣味ではなく、心まで女性になっていくその過程。いろんな意味で難しかった。

 

ひとつには、もし自分の配偶者が「女性になりたい」と言ったとき、私はそれを受け入れられるだろうかということ。

婚姻関係になくて、ただ友人として、元々トランスジェンダーだとかバイセクシャルだとかってことを知っていたら、それはきっとひとつの個性として受け入れられると思う。

でも恋愛関係にあって、結婚までしている相手が、「男性」でなくなったとき、私だったらどういう風に向き合うことになるんだろう。

同じ人物であって、同じ人物ではない。もう「男性」だった頃の相手は戻ってこない、二度と会えない。その点はある意味、死んでしまったのと同じ辛さがある。

 

そもそも受け入れるか受け入れないかじゃなく、受け入れるしかない、というのもある。でもそれで、その人と一緒に居続けられるだろうかとなると分からない。でも心配ではあるだろうし、支えになりたいとも思うだろうし。家族愛に近い感情になるのか、それとも親友に対する友情に近い感情なのか。その間ぐらいかなあ。そう考えるとゲルダの行動は非常にリアルだったなと思う。実話に基づいているというのもあるだろうけど。

 

反対に、リリーがどういう気持ちでゲルダを愛していたかというのも気になる。愛している、離れたくない。でも、男性としてそういう行為はできなくなっているし、現に他の男性に恋愛感情を抱いているし。ゲルダに対する愛は、恋愛感情の延長なのか、これも家族愛なのか、親友のようなものなのか。

 

一番難しいなと思ったのは「嫉妬」の感情。

リリーはゲルダがハンスといい感じになったとき、どういう感情だったんだろうっていう。愛してはいるけど、もはや恋愛感情って感じではないし。自分でもよく分からなかったかもしれないね。

 

ゲルダもリリーが他の男とキスしてるのを見て怒りと悲しさを覚えるわけやけど、この時点ではまだ「遊びの女装」やと思っていたはずで。私だったら嫉妬するのかどうか分からない。「キスされてもうてるやん」って笑ってしまったかもしれない。

ゲルダが怒りを感じたのは、リリーが本物になりつつある、というのを心のどっかで察していたからかもしれない。それでも、これは私が前からずっと思ってることやけど、自分の恋人がバイセクシャルやった場合に、男相手の浮気にどういう感情を抱くべきか分からないというか。女相手の浮気は嫌やけど、男相手でも同様に嫉妬するんだろうか。でも、自分が女である以上、男としてのニーズには応えられないわけであって、それはそれで仕方ないのかな、とか。

 

難しかったな。でも良い映画だった。またひとつ新しい価値観に触れたような気がする。うん、良かった。