Junks and Toothpaste

just some random pieces of everyday

11/25

やり残したこといっぱいあってちょっとしょんぼり。全然思ったように頑張れんかった。でもまあ、今年は新しいこといろいろ頑張ったと思おう!そろそろちゃんとプランを立て直さないとなあ。

 

来年からどうしよう。一回学習相談に行ってから考えようかなあ。私は何を学び取っているんだろう、ここから。

9 out of 10

10人中9人がゴーサインを出したら、まあ行くじゃん。問題はそれが「人」の意見じゃなかったというところなのだけど。でもどっちにしろやらなきゃ悶々としてたことなので、別にそれはそれでよかったかなと思いつつ。

 

うぎゃあああああって感じではある。

 

ひとつのネタを育ててって、形にしたいなというのはある。濃縮だしを作っておいて、少しずつ水を足していい塩梅にしていけばいいのかな。それをするには、今のツールではちょっとというところ。

 

まあそれはおいおい。今の優先事項ではない。

 

短編小説って、一作あたりどれぐらいの分量かなあ。まず15ページぐらいのとこから始めてみよかな。ふわっと浮かんでくるものを、一応の形にしておきたいような気はして。

 

ウィンドウズがほしいなあ。マックのワード、使いづらいなあ。

 

お気に入りの会話

「巨乳の人は半分分けてほしい」

「半分分けてもらってもお前のほうが小さいんちゃう」

「えっ、私のカップ虚数?!」

 

「何あれ!香水焙煎やって!」

「いや香味焙煎やん、ネスカフェやって」

「あっ...」

「香水焙煎って、全部ちょっと焦げ臭いだけやん」

 

「平たいパスタって何て言うんやっけ」

「色々あるけど有名なのはフェットチーネかな」

「それや!それだけ知ってた」

「絶対グミで覚えたやろ」

「なんで分かったんですか」

「俺もそうやもん」

 

 

他にもあったのに忘れちゃったな。面白かったのに。

 

 

 

人を怖がらないこと

昨日久しぶりの集まりで、後輩に「会いたかったです!」と言われた。

 

普通に交流のある後輩だとは思っていたけど、特別好かれているわけではないと思っていたので驚いた。社交辞令だろうなと思ったけど、ニコニコしてわざわざそれを言いにきてくれて、夕方「会えて嬉しかったです!」とラインまでくれた。驚いた。

 

別の後輩にも、「東京おるのに全然誘ってくれないじゃないですか!」と言われた。今までグループの集まり以外で飲みに行ったことが一回あるかないかぐらいの後輩なので、これもまた驚いた。でもまあ社交辞令だろうなと思った。

 

今日じゃないけど、別の後輩にもご飯を誘われたときがあって、きっと奢ってほしいんだろうなと思ったりした。別の友達にご飯に誘われたときも、なんでわざわざ私に連絡してきたんだろうなあ、一回社交辞令で声掛けた以上ちゃんと誘わなきゃいけないと思ったんだろうなあ、とか考えたりした。

 

でも、もしかしてもしかしてもしかして、私は自分で思う以上に人に好かれているのでは?

 

「友達がいない」と言い続けているけど、実際のところ自分から広げようという努力は全然していないわけで、本当に限られた仲の良い友達だけに時々声を掛けて、それ以外はいつも誘われるのを待っている。

久しぶりに会った人と「また今度飲みにいこうよ!」って話をしても、社交辞令だろうしどうせ遊ばないし、と思ったり。みんなキラキラした生活を送っているから、誘っても忙しいだろうな、とか。そもそも誰が私と遊びたいんだろうな、とか。

 

でも、みんなそういう「今度飲みにいこうよ!」を大事にしていて、それからちょくちょく遊ぶようになって仲良くなったり、たくさん予定が埋まったりしているのかもしれない。

あと、いろんな人に言われたけど、「会いたいと思ってない人をわざわざ誘わないよ」ということ。なのでまあ、誘って断られるのが怖いのは変わらないけど、少なくとも誘ってくれる人に対しては変な引け目を感じなくていいのかな、という。

 

 

それにしても、「会いたかったです」って言葉はすごい。

 

私はあんまり身のない言葉ってものが好きではなくて、「会いたかった」なんて、本当に本当にめちゃくちゃ会いたかったときしか言えない。というか、そこまで「会いたい」と思う他人ってほとんどいないので、基本的にこの言葉を発することがない。強いて言うならくうちゃんぐらい、私がそんな強烈な愛情を覚える相手は。

 

でも、「会いたかった」って言われて嬉しくない人っていない気がするし、it doesn't hurt to say that って感じ。というかそもそも、私はもっと人に「会いたい」という気持ちを持ったほうがいいのかもしれない。「誰も私のことなんて気にかけてくれない」ではなく、自分が人にコミットする気がないだけじゃないか、という話。

 

会いたいという気持ちを持ったほうがいいのかもしれない、っていうと「ああ、誰かに会わなきゃ!」っていうのがしんどくなるので、そこまで気にする必要はない、ということも書き添えておこう。

というより、「そういえば会いたいな」とか「誘ってみようかな」とか、そういう気持ちを大事にしていいんだ、という。私のことを嫌っている人はそう多くはないみたい。あんまり怖がる必要はないし、卑屈になる必要もない。

 

それと関連して、先輩に「好きになりすぎたらいけない、って思ってない?」と言われたのも、すごく刺さった。

 

多分私は根本的に、人を好きになるということが怖いのだと思う。好きになっても受け入れてもらえなくて傷付くのが怖い。友人関係でも恋愛でもなんでも。とにかく自分に自信がないし、最初からそこで一歩引いてしまうところがあって。

でもそれは多分、純粋に相手のことを好きだからという以上に、「愛されたい」という自己愛のほうが勝っているからなんだろうなと気付いた。ただ好きでいることには何も怯える必要はなく、それを伝えることにも問題はなく。でも、相手を自分のものにしようとか、相手に好かれようとか、特別な関係になりたいだとか。そういう気持ちがダメにさせてるんだなと分かった。

 

それは自然な感情なのかもしれないけど、そこから解放されれば、多分私はもっと人を好きでいることを楽しめるんじゃないかと思う。ただ好きでいるだけで、幸せな気持ちになるとか頑張れるとか。恋愛を抜きにしても、仲良くなりたいとか自分にとって必要な相手だと思えるとか。

あんまり気張らずに、人を好きでいることを楽しんでいいんだな。ということに気付けたので、これからもっと人生が楽になりそうです。

 

というわけで、これからはあまり人に対して臆病にならず、向けられた好意をもっと素直に受け取ろうと思います。

 

 

本当のことを知りたくないなら

本当のことを知りたくないなら、下らないことを聞かないでくれないだろうか。

 

私は嘘を吐かないし、都合の良いことなんて言ってあげられない。言ってあげてもいいけど、どうせずっと疑い続けるんでしょう。そこに何の意味があるんですか。

 

「そうじゃない」と言ってほしいけど、「そうなんだろうな」って思ってる。そんなの私にどうしろと。私に聞いたところで何の意味もないじゃないですか。あなた自身の求めるものがそもそも相反しているのだから。

 

私はあなたが思う通りの人間です。あなたの疑いは当たっています。だから何だって話。勝手に期待して勝手に落胆すんのはいいけど、それを私にぶつけてくるのはやめませんか。あなたの都合なんて知ったこっちゃないんで。

 

 

という、フィクション。実在の人物や団体とは関係ありません。