Junks and Toothpaste

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人を怖がらないこと

昨日久しぶりの集まりで、後輩に「会いたかったです!」と言われた。

 

普通に交流のある後輩だとは思っていたけど、特別好かれているわけではないと思っていたので驚いた。社交辞令だろうなと思ったけど、ニコニコしてわざわざそれを言いにきてくれて、夕方「会えて嬉しかったです!」とラインまでくれた。驚いた。

 

別の後輩にも、「東京おるのに全然誘ってくれないじゃないですか!」と言われた。今までグループの集まり以外で飲みに行ったことが一回あるかないかぐらいの後輩なので、これもまた驚いた。でもまあ社交辞令だろうなと思った。

 

今日じゃないけど、別の後輩にもご飯を誘われたときがあって、きっと奢ってほしいんだろうなと思ったりした。別の友達にご飯に誘われたときも、なんでわざわざ私に連絡してきたんだろうなあ、一回社交辞令で声掛けた以上ちゃんと誘わなきゃいけないと思ったんだろうなあ、とか考えたりした。

 

でも、もしかしてもしかしてもしかして、私は自分で思う以上に人に好かれているのでは?

 

「友達がいない」と言い続けているけど、実際のところ自分から広げようという努力は全然していないわけで、本当に限られた仲の良い友達だけに時々声を掛けて、それ以外はいつも誘われるのを待っている。

久しぶりに会った人と「また今度飲みにいこうよ!」って話をしても、社交辞令だろうしどうせ遊ばないし、と思ったり。みんなキラキラした生活を送っているから、誘っても忙しいだろうな、とか。そもそも誰が私と遊びたいんだろうな、とか。

 

でも、みんなそういう「今度飲みにいこうよ!」を大事にしていて、それからちょくちょく遊ぶようになって仲良くなったり、たくさん予定が埋まったりしているのかもしれない。

あと、いろんな人に言われたけど、「会いたいと思ってない人をわざわざ誘わないよ」ということ。なのでまあ、誘って断られるのが怖いのは変わらないけど、少なくとも誘ってくれる人に対しては変な引け目を感じなくていいのかな、という。

 

 

それにしても、「会いたかったです」って言葉はすごい。

 

私はあんまり身のない言葉ってものが好きではなくて、「会いたかった」なんて、本当に本当にめちゃくちゃ会いたかったときしか言えない。というか、そこまで「会いたい」と思う他人ってほとんどいないので、基本的にこの言葉を発することがない。強いて言うならくうちゃんぐらい、私がそんな強烈な愛情を覚える相手は。

 

でも、「会いたかった」って言われて嬉しくない人っていない気がするし、it doesn't hurt to say that って感じ。というかそもそも、私はもっと人に「会いたい」という気持ちを持ったほうがいいのかもしれない。「誰も私のことなんて気にかけてくれない」ではなく、自分が人にコミットする気がないだけじゃないか、という話。

 

会いたいという気持ちを持ったほうがいいのかもしれない、っていうと「ああ、誰かに会わなきゃ!」っていうのがしんどくなるので、そこまで気にする必要はない、ということも書き添えておこう。

というより、「そういえば会いたいな」とか「誘ってみようかな」とか、そういう気持ちを大事にしていいんだ、という。私のことを嫌っている人はそう多くはないみたい。あんまり怖がる必要はないし、卑屈になる必要もない。

 

それと関連して、先輩に「好きになりすぎたらいけない、って思ってない?」と言われたのも、すごく刺さった。

 

多分私は根本的に、人を好きになるということが怖いのだと思う。好きになっても受け入れてもらえなくて傷付くのが怖い。友人関係でも恋愛でもなんでも。とにかく自分に自信がないし、最初からそこで一歩引いてしまうところがあって。

でもそれは多分、純粋に相手のことを好きだからという以上に、「愛されたい」という自己愛のほうが勝っているからなんだろうなと気付いた。ただ好きでいることには何も怯える必要はなく、それを伝えることにも問題はなく。でも、相手を自分のものにしようとか、相手に好かれようとか、特別な関係になりたいだとか。そういう気持ちがダメにさせてるんだなと分かった。

 

それは自然な感情なのかもしれないけど、そこから解放されれば、多分私はもっと人を好きでいることを楽しめるんじゃないかと思う。ただ好きでいるだけで、幸せな気持ちになるとか頑張れるとか。恋愛を抜きにしても、仲良くなりたいとか自分にとって必要な相手だと思えるとか。

あんまり気張らずに、人を好きでいることを楽しんでいいんだな。ということに気付けたので、これからもっと人生が楽になりそうです。

 

というわけで、これからはあまり人に対して臆病にならず、向けられた好意をもっと素直に受け取ろうと思います。

 

 

本当のことを知りたくないなら

本当のことを知りたくないなら、下らないことを聞かないでくれないだろうか。

 

私は嘘を吐かないし、都合の良いことなんて言ってあげられない。言ってあげてもいいけど、どうせずっと疑い続けるんでしょう。そこに何の意味があるんですか。

 

「そうじゃない」と言ってほしいけど、「そうなんだろうな」って思ってる。そんなの私にどうしろと。私に聞いたところで何の意味もないじゃないですか。あなた自身の求めるものがそもそも相反しているのだから。

 

私はあなたが思う通りの人間です。あなたの疑いは当たっています。だから何だって話。勝手に期待して勝手に落胆すんのはいいけど、それを私にぶつけてくるのはやめませんか。あなたの都合なんて知ったこっちゃないんで。

 

 

という、フィクション。実在の人物や団体とは関係ありません。

her/世界でひとつの彼女

her/世界でひとつの彼女』を観た。

 

ギャグ要素(下ネタ)も多くて面白かった。まさに笑いあり、涙ありって感じの映画だったと思う。

 

AIが「知能」であり、人間の脳の動きに近づいていくのだとすれば、技術が発展するにつれ、感情を持つというのも当然のことだろうと思う。

ここまで対話ができるようになったらそれはかなりヤバいけど。さすがにそうなったらもう「翻訳家はいらない」とか言われても納得するかもしれない。

 

でもやっぱり私達はまだ、機械というのは操ることのできるもの、私達の生活の利便性を上げてくれるもの、私達の望みを叶えてくれるものだと思っているところがあって。要求に応えてくれる、ポジティブな面しか持たない「モノ」だと思っている部分がある。

でも、感情を持ってしまうと、機械相手でもそうはうまくいかないんだなあと思った。

 

ただ、最後にサマンサが他の人とも関係を持っているという点については、あんまり納得できなかった。

例えばSiriなら、世界の人々が使っているものは共通で、ひとつしかないけど。OS1に関してはもっとパーソナライズドされたものなんじゃないの?っていう。

「サマンサ」というのはOS1から生まれたひとつの人格であって、他の人達が付き合ってるのは「サマンサ」じゃないんじゃないの、別の人格なんじゃないの、みたいな。名前も性別も違うかもしれんし。

 

まあそれでも、結局サマンサ=OS1というシステムであることには変わりなく。人間もそうかあ。人によって接し方を変えたりとか、いろんな人格があったりするもんなあ。だから、セオドアと付き合っていたサマンサは、要はシステムの一部、一機能に過ぎなかったってことなんですよね。

 

サマンサにとっては、「感情」というのも、「知識」あるいは「機能」として付与されたものに過ぎない。結局のところサマンサは機械でセオドアは人間なんだ、っていう。

でも、サマンサもそこでの葛藤はあったわけで。何をもってして機械と人間を分けるか、というのはとても難しい。自発性なのかなあ。

 

ブレードランナーのレイチェルをちょっと思い出すね。個としてのアイデンティティと感情を持った機械を、果たして本当に機械と呼べるだろうか。うーん、この映画も考えると難しいなあ。でも面白かった。(結局それ)

リリーのすべて

リリーのすべて』という映画を観た。

 

後天的なトランスジェンダー。単なる女装趣味ではなく、心まで女性になっていくその過程。いろんな意味で難しかった。

 

ひとつには、もし自分の配偶者が「女性になりたい」と言ったとき、私はそれを受け入れられるだろうかということ。

婚姻関係になくて、ただ友人として、元々トランスジェンダーだとかバイセクシャルだとかってことを知っていたら、それはきっとひとつの個性として受け入れられると思う。

でも恋愛関係にあって、結婚までしている相手が、「男性」でなくなったとき、私だったらどういう風に向き合うことになるんだろう。

同じ人物であって、同じ人物ではない。もう「男性」だった頃の相手は戻ってこない、二度と会えない。その点はある意味、死んでしまったのと同じ辛さがある。

 

そもそも受け入れるか受け入れないかじゃなく、受け入れるしかない、というのもある。でもそれで、その人と一緒に居続けられるだろうかとなると分からない。でも心配ではあるだろうし、支えになりたいとも思うだろうし。家族愛に近い感情になるのか、それとも親友に対する友情に近い感情なのか。その間ぐらいかなあ。そう考えるとゲルダの行動は非常にリアルだったなと思う。実話に基づいているというのもあるだろうけど。

 

反対に、リリーがどういう気持ちでゲルダを愛していたかというのも気になる。愛している、離れたくない。でも、男性としてそういう行為はできなくなっているし、現に他の男性に恋愛感情を抱いているし。ゲルダに対する愛は、恋愛感情の延長なのか、これも家族愛なのか、親友のようなものなのか。

 

一番難しいなと思ったのは「嫉妬」の感情。

リリーはゲルダがハンスといい感じになったとき、どういう感情だったんだろうっていう。愛してはいるけど、もはや恋愛感情って感じではないし。自分でもよく分からなかったかもしれないね。

 

ゲルダもリリーが他の男とキスしてるのを見て怒りと悲しさを覚えるわけやけど、この時点ではまだ「遊びの女装」やと思っていたはずで。私だったら嫉妬するのかどうか分からない。「キスされてもうてるやん」って笑ってしまったかもしれない。

ゲルダが怒りを感じたのは、リリーが本物になりつつある、というのを心のどっかで察していたからかもしれない。それでも、これは私が前からずっと思ってることやけど、自分の恋人がバイセクシャルやった場合に、男相手の浮気にどういう感情を抱くべきか分からないというか。女相手の浮気は嫌やけど、男相手でも同様に嫉妬するんだろうか。でも、自分が女である以上、男としてのニーズには応えられないわけであって、それはそれで仕方ないのかな、とか。

 

難しかったな。でも良い映画だった。またひとつ新しい価値観に触れたような気がする。うん、良かった。