Junks and Toothpaste

just some random pieces of everyday

The Man - Ed Sheeran

"Success is nothing if you have no one left to share it with," Ed said.

 

That's exactly what I've been wondering these days. Is it really worthwhile to live just for myself? There's something I wanna do, and now I'm working for that, but it feels like I've been losing so many things and becoming alone. 

 

Got no money, got no friends, got no lover. I guess I'm still happy for being able to do what I like, but how will I feel in 5 years, 10 years, and more ahead? What will be left for myself? These thoughts make me feel uneasy.

 

 

"The irony is if my career and music didn't exist
In 6 years, yeah, you'd probably be my wife with a kid"

 

It seems exactly like my future, except it's not "music" and "wife" in my case.

 

Though my uni or grades in school may have been good, that doesn't mean I'm a decent person. I'm not cut out to be a member of society. I don't belong to anywhere, I just can't. Who would forgive me, accept me, allow me just to be there? Is it just me not making any efforts to blend in that is to blame? 

 

 

でもまあ、なんにせよ、今は目の前のことを頑張るしかないのだろう。

 

Run Outta Fuel

つかれた。とりあえず、つかれた。


本当はもっと余裕を持って終わらせる予定だったコンクール課題、結局締め切りギリギリになってしまった。でもやっぱり、自分が疑問を持って訳したところは、読み手にも疑問が残るんだなと分かったので、きっちり理解して訳すことを心がけようと思った。


あと、疑問を持ったところは、たいがい意味を取り違えてるっていうのも思った。疑問を持ってなくても、何回も読み直してるうちに「あれ?」ってなる箇所は結構あって、本当最後の最後で、全然今まで気付いてなかったところで読み違えてたりする部分があるのにも気付いた。


英語を日本語にすること、訳した日本語を自然な日本語にすること。だいたいこの二つにとらわれてたけど、文章全体を読んでみると、伏線があったりとか、文の流れがあったりして、ちゃんと全体像を掴まないかんということも分かった。


それから毎度のことながら、語彙力の無さを感じた。年間100冊は最低ボーダーとのこと、でも私はもともと読書家ではない。そもそもなんで出版翻訳を目指してるのか、目指してていいのか、ってたまに思うこともある。でもまあやれるだけやってみて、ですよね。


とりあえず今年はまだ半年あるので、やれるとこまで。がんばるっぴ


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Sweet Surrender

基本的には「自分の信じた道を突っ走る」タイプの人間だけど、時々、「それでどうなるというのか」みたいな気持ちになる。

 

月並みなことを言うと、後悔も含めて今の自分があるので、今までの決断とか、あんまり後悔してない。しんどいことはやめてしまえばいいと思ってるし、やりたいことが出来ない状況には耐えられない。

 

でも、みんながみんな自分の思い通りにできるわけではなくて、人のためとか、社会のためとか、いろんなことのために頑張ってる人がたくさんいて、その人たちは、苦労の中でいろんなことを学んで、人として成長していくんだろうなと思う。

 

私はそういうのをずっと避けてきたから、自分のためにしか頑張れないし、自分の味方してくれる人しかいらない。ずっとこのまま、子どもみたいに、わがままを押し通していくのかなあ、それともどっかで変わらないといけないのかなあと思ったりもする。

 

でも、やっぱり、自分が一番大事なので、私が変わるとしたら、自分のことを差し置いても大事にしたいと思える相手がいてこそなんだろうなあと思う。自分の子どもとかかな。わからんけど。

 

まだしばらくは、というかもしかしたら一生、このまま、気ままに、さみしく、楽しく、孤独なままでいいかなあと思ったりする。自分に余裕がないうちは、人に優しくもできないのでね。

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Waiting Time

The worst moment, is when you are waiting for the answer.


I know I shouldn't make an emotional decision, because I most likely regret it afterward, so I always try to wait, for my emotions to calm down, for an answer to come down.

But that's the toughest time. It's somehow annoying, irritating, stressful and frustrating. Because you know your situation isn't right, yet you can do nothing but wait. Just continuing it while not being certain if you should.


I always just can't stand this feeling. While waiting for the answer, those dull moments pile up, and become a burden on me, little by little.

So I end up running away by choosing a way to take, half-heartedly, half way through, before I'm sure of it.


I need time to think; but I don't. I wanna wait; but I don't. But this time I will. Take my time and no regret, hopefully.

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インプットとアウトプット

 最近よく思うことだが、私には圧倒的にインプットが足りない。

 

 英文添削の仕事をしているとき、「たくさん英語に触れてインプットを増やしましょう」というアドバイスをよくする。多読が非常に効果的な学習方法であるという話をよく聞くが、単に語彙力が上がるというだけでなく、やはり感覚的に身についてくる部分も大きいのだと思う。ある特定の表現を知っているかどうか、そしてその表現を適切に使えているかどうかは、文章全体の印象に大きく関わってくる。

 

 ただ、これが自分自身も心がけなければならないことだと気付いたのは、ほんの最近のことだ。以前は授業で英文に触れる機会がいくらでもあったし、留学してからしばらくは英語がもっと自然に出てきていたが、最近は生の英語に触れる機会が減って、少しずつ感覚が鈍ってきているのが分かる。

 英語だけでなく、日本語力も今の私には足りていない。和訳をするとき、英語の意味は分かっても、はっきりと情景が浮かんでも、それをどう日本語でアウトプットしていいのかが分からない。なぜなら、それに対応する表現を知らない、つまりその表現をするためのインプットがなされていないためだ。

 

 「翻訳の仕事をしたい」と漠然と思い続けてきて、正直なところ、どこから手をつけていいのか分からない状態が続いていた。なんといっても9割以上が実務翻訳という世界。出版や字幕は、実力を差し置いても狭き門である。まずは実務翻訳でそれなりに稼げるようになってから、などと考えていたが、これはとんだ的外れな目標だったのかもしれない。

 例えばだが、医者に必要なスキルと、プログラマーに必要なスキルと、小説家に必要なスキルは、まったくもって別物である。すべての能力を兼ね備えた多才な人物もいるかもしれないが、ごく一部だろう。それぞれがそれぞれに、自分の専門分野があり、その分野で活躍している。

 「英語ができればなんでも訳せる」というのは、上に述べたような多才な人間がいることを考えれば必ずしも間違いではないだろうが、分野に合わせた知識が必要なのは、日本語でも英語でも変わらない。金融翻訳のエキスパートになったところで、出版翻訳の実力がついているかといえばそうではないのだ。なぜなら、使われる言語の種類がまったく違うのだから。

 出版翻訳に携わりたいと思うのなら、そのための言語を磨かなくてはいけない。つまり、出版翻訳に関わる言語の「インプット」をする必要があるのではないか。そう考えるようになってから、ジタバタと実務翻訳の勉強をしなければという気持ちがなくなり、自分のしたいこと・するべきことが、よりクリアに見えてきた気がする。

 

 もちろん、先に述べたように、相当狭き門なので、すぐにどうこうなる話ではないと覚悟はしている。本当にやりたいことにたどり着くまでに、結局は実務翻訳を経験したり、あるいは翻訳業すら叶わず、別の仕事をし続けることになるかもしれない。

 それでも、ずっと「やりたい」と思い続けてきたことなので、やってみないわけにはいかない。細々とでも、ゆっくりでも、とにかく「目標に向かうことをやめない」という姿勢を大事に頑張りたい。

 

 余談だが、以前どこかで「語彙力のない人は、自分の気持ちを明確に表現する手立てがないのでキレてしまう」というようなことを読んだ。語彙力が増えるほど、感情のコントロールが上手になるのだそうだ。言葉を知っていれば知っているほど、言いたいことを的確に伝えることができる。結論:本をたくさん読もう。

見える努力と見えない努力

 「また占いの話してる」と思われそうだが、私は毎週、石井ゆかりさんの週間占いを読んでいる。今週の山羊座について、以下のようなことが書かれていた。

 

今週の「方向転換」はどの星座の人にも

「2月からの状況からの解放」という要素を含んでいますが

特に山羊座の人にとっては誰からも見えない苦労が、

誰からも見える活躍へと転じていく、その転換点となるはずです。

 

 年末に前の仕事を辞めてから、1月は遊んでいたので、実質いろんなことが動き始めたのは2月からになる。そのころからパソコンを使う作業が増えたのだが、この度おそらく腱鞘炎になった。「活躍」かどうかはともかく、「誰からも見えない苦労」が、手首のサポーターとともに「誰からも見える苦労」にややステップアップしたのかもしれない。

 念のため今週中に一度病院へ行こうと考えているが、ごまかしごまかしやり過ごしてきた右手の痛みという「2月からの状況からの解放」は、果たして実現なるか。

 

 ただ実際のところ、この腱鞘炎は主にスマホで遊びすぎたことによるものなので、「誰からも見える苦労」ではなく「誰からも分かる怠けぶり」となったといったほうが正しい。ステップアップどころか大幅なグレードダウンである。というわけで、「2月からの怠けぶりからの解放」を果たし、「活躍」へと転じていくことはできるのか。そもそも占い頼みな時点で不安要素が大きいが、自分自身の努力に期待したい。

 

 【追伸】新しいおもちゃを貰えると嬉しいように、新たな知識を獲得すると脳が喜んで、勉強が楽しいと感じる。ただここには「あ、そうか!」「なるほど!」といった感動、一時期流行った言葉で言えば「アハ体験」が伴う必要がある。学習の楽しさにおいては、「腑に落ちる」という感覚が大事なのだろう。結論:右手がとにかく痛いので早く病院に行った方がいい。

三杯目の焼酎

父「今日の焼酎は濃かったのかな。一杯しか飲めなかった」

母「それ三杯目だよ」

 

 最後の記事更新以降、幾つか下書きはしたものの、そこで満足して公開するには至らなかった。そしてこの度、某星座占いで「SNSよりもブログ中心にするといい」と読んだので、二ヶ月の放置を経て更新することにした。占いに感化されて仕事を辞めた私らしい、やや胡散臭い行動である。

 占い関連の話をすると、先日、地元でよく当たると噂のタロット占いに行ってきた。実は数年前にも一度訪れたこの占い屋。当時の私は留学から一時帰国中で、あらゆるストレスを抱えていた。勉強面でも、生活面でも、恋愛面でも。

 そんな状況での占い結果、最初の一言が「すごく疲れてますね」。端的だが的確な表現。こちらの情報は何も話していないのに言い当てられ、それだけでも驚いたが、今後に関して「ボロボロですけど、なんとかなります。年末にはとりあえず落ち着きます」とのこと。

 これだけ聞くと、そんなざっくりしたことは誰にでも言えるのでは?と思うかもしれない。ただ、この「年末」というのが、ちょうど私が留学を終えて帰ってくるタイミングだった。実際その後も何かと気苦労は絶えなかったが、周囲の人間関係も改善し、十二月には無事に日本に帰ってきて一安心。「あの占いは当たっていたのかな」と、なんとなく思いながら年を越した。

 

 ここ最近、特にひどく悩んでいるというわけではなかったものの、漠然と「このままで大丈夫かなあ」という生来の不安症が顔を覗かせていた。そんな時、ちょうどその占い屋の近くで友人との約束があったので、誘って一緒に行ってみた。雰囲気・値段ともに気軽に行きやすいのも、この占い屋の良い点である。中に入ると一時間ほど待ち時間があるようだったので、周辺をぶらついてから店に戻ってきた。

 今回もこちらの状況は一切伝えていない状況で、水晶玉とタロットカードを用いて占いが始まる。そして出た結果は、ざっくり言うと以下のようなものだった。

 

 「あなたは我が道を貫く人。実際に今、自分のやりたい方向へと動いていて、生き生きとしています。二ヶ月以内には自分の中でひとつの決断を下して、それに向かって行動を起こしていくはず。結果がどうなるかはまだ分からないけど、あなたは後悔するタイプではないので心配しないで」

 

 この最後の一言が、今の私がまさに求めていたものだった。下手に「今後どうなっていくか」ということを言うのではなく、自分の責任で自分の道を行く、その背中を押してくれる言葉であった。内容自体も的を得ていたが、この一言を聞けただけでも十分だったといっても過言ではない。

 

 このような「アドバイス」を求めて占いに行く、という人は少なくないのではないだろうか。そのような気持ちを利用して、高額なものを売りつけたり洗脳したりという、悪徳な商売があるのも事実だ。ただ、それは占いに頼りすぎるあまり、「自分で考える・行動を起こす」ということを諦めてしまった人が引っ掛かってしまう罠だと思う。

 「当たっているかどうかは別として、そのアドバイスを生かして良い方向に進んでいくことが出来ればいいのだ」という、友人の言葉を思い出した。