Junks and Toothpaste

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インプットとアウトプット

 最近よく思うことだが、私には圧倒的にインプットが足りない。

 

 英文添削の仕事をしているとき、「たくさん英語に触れてインプットを増やしましょう」というアドバイスをよくする。多読が非常に効果的な学習方法であるという話をよく聞くが、単に語彙力が上がるというだけでなく、やはり感覚的に身についてくる部分も大きいのだと思う。ある特定の表現を知っているかどうか、そしてその表現を適切に使えているかどうかは、文章全体の印象に大きく関わってくる。

 

 ただ、これが自分自身も心がけなければならないことだと気付いたのは、ほんの最近のことだ。以前は授業で英文に触れる機会がいくらでもあったし、留学してからしばらくは英語がもっと自然に出てきていたが、最近は生の英語に触れる機会が減って、少しずつ感覚が鈍ってきているのが分かる。

 英語だけでなく、日本語力も今の私には足りていない。和訳をするとき、英語の意味は分かっても、はっきりと情景が浮かんでも、それをどう日本語でアウトプットしていいのかが分からない。なぜなら、それに対応する表現を知らない、つまりその表現をするためのインプットがなされていないためだ。

 

 「翻訳の仕事をしたい」と漠然と思い続けてきて、正直なところ、どこから手をつけていいのか分からない状態が続いていた。なんといっても9割以上が実務翻訳という世界。出版や字幕は、実力を差し置いても狭き門である。まずは実務翻訳でそれなりに稼げるようになってから、などと考えていたが、これはとんだ的外れな目標だったのかもしれない。

 例えばだが、医者に必要なスキルと、プログラマーに必要なスキルと、小説家に必要なスキルは、まったくもって別物である。すべての能力を兼ね備えた多才な人物もいるかもしれないが、ごく一部だろう。それぞれがそれぞれに、自分の専門分野があり、その分野で活躍している。

 「英語ができればなんでも訳せる」というのは、上に述べたような多才な人間がいることを考えれば必ずしも間違いではないだろうが、分野に合わせた知識が必要なのは、日本語でも英語でも変わらない。金融翻訳のエキスパートになったところで、出版翻訳の実力がついているかといえばそうではないのだ。なぜなら、使われる言語の種類がまったく違うのだから。

 出版翻訳に携わりたいと思うのなら、そのための言語を磨かなくてはいけない。つまり、出版翻訳に関わる言語の「インプット」をする必要があるのではないか。そう考えるようになってから、ジタバタと実務翻訳の勉強をしなければという気持ちがなくなり、自分のしたいこと・するべきことが、よりクリアに見えてきた気がする。

 

 もちろん、先に述べたように、相当狭き門なので、すぐにどうこうなる話ではないと覚悟はしている。本当にやりたいことにたどり着くまでに、結局は実務翻訳を経験したり、あるいは翻訳業すら叶わず、別の仕事をし続けることになるかもしれない。

 それでも、ずっと「やりたい」と思い続けてきたことなので、やってみないわけにはいかない。細々とでも、ゆっくりでも、とにかく「目標に向かうことをやめない」という姿勢を大事に頑張りたい。

 

 余談だが、以前どこかで「語彙力のない人は、自分の気持ちを明確に表現する手立てがないのでキレてしまう」というようなことを読んだ。語彙力が増えるほど、感情のコントロールが上手になるのだそうだ。言葉を知っていれば知っているほど、言いたいことを的確に伝えることができる。結論:本をたくさん読もう。