Junks and Toothpaste

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海辺のカフカ

村上春樹海辺のカフカ』を読んだ。

考察したいことは沢山あるけれど、あまりにも多すぎて。メタファーが多すぎて。読み解くべきところが多すぎて。たった一回読んだだけでは分からない、全然分からない。

 

海、夢、死、記憶、時間、文字、カラス。このあたりのキーワードで言えば、卒論で扱った A Tale For The Time Being に重なるところがある。Ruth Ozeki は『海辺のカフカ』にインスピレーションを受けて物語を作ったのでは、と思ってしまうほど。

 

ちゃんと考察すると卒論がひとつ出来上がってしまいそうなぐらいキリがないので、とりあえずいくつか読み解いたものをメモしておく。

 

【時間=記憶=文字】

時間の流れというのは、記憶(思い出)と大きく関わる。そして人間は、記憶を残していく手段として、あるいは伝えていく手段として、文字を使う。

文字を使って書き記すということは、その中に記憶を留めるということである。書かれたものというのは、時間の流れに対抗する手段である。

そして時間の流れというのは、もちろん死に向かうものである。

 

佐伯さんは、自分の物語を書き記した。ただ、それを誰にも読まれることなく、燃やしてしまうことを望む。それはつまり、記憶を手放すこと。時の流れに対抗しない。身を任す。つまり死を受け入れるということ。

ナカタさんは、時間、記憶、文字、それらを「持たない」人である。つまり、死というものを受け入れている。死とは、対抗するものでも、恐れるものでもない。ナカタさんは、生と死の「境界」にいる人。

 

【海】

海は、あらゆるものの境界であり、最終地点であり、無であり、未知である。

ナカタさんが言う「大きな橋を渡ってきました」は、境界を超えてきたということ。「海辺のカフカ」は、海のそばにいる、つまり「境界の縁にいる」カフカのこと。

 

【森】

森は、危険な場所。童話でも、迷い込むのはいつも「子ども」。子どもの恐れる対象。

子どもが大人になるためには、その恐怖を乗り越えるしかない。「森」と向き合うことで、カフカは自分の中にある恐怖と向き合い、それを受け入れることを知る。森の中で彼が思いふける行為は、まさに「森=自分の恐怖」の中を、暗中模索しながら進んでいることのメタファー。

 

【カラス】

森の上を飛ぶ。つまり、「自分の恐怖」を上から見下ろす存在。自分を客観的に見る、もうひとりの自分。主観でものごとを語るときには現れない。自分の置かれた状況、どうすべきかについて、客観的な判断をする。

「カラスと呼ばれる少年」は、「カフカ」自身のこと。もうひとりのカフカ。というより、「カフカ」は本名ではないので、「カフカ」自体が本物の自分とは切り離された「もう一人の自分」であるといえるかもしれない。

 

 

疑問点はたくさんある。

・「入り口」とは、どこへの「入り口」? なぜ田村父は入ってはいけない?

・「笛」とはなんなのか?

・なぜナカタさん? なぜホシノさん? 二人の関係、それぞれの役割は?

・魚やヒルが降ってくることはなんのメタファー?

 

死の世界への入り口だと思っていたけど、それだと死んだ田村父が入ってはいけない理由がピンとこない。記憶とか、子どもでいつづけることとかへの入り口? 笛が本当にわからない。ググってもいいけど、どうしよう。。。

もうその他とりあえず、今日は無理。一旦ここまで。また読み返す気になったら、そのときに考える。ならなかったらそれはそれで。とりあえず早くカズオイシグロが読みたいんです。